2008年07月14日

解雇

H.17.9月 万博に何回も行くつもりでフリーパスを購入していましたが、あまり行けず9月に数回行きました。なんでエジプト館にこだわったのか今となっては分かりませんが、2時間くらい並びました。折りたたみの椅子を持っていってたので、それに座って列が進むと立って2,3歩進みまた座る、の繰り返しを続け、それまで寝たきりに近い生活で筋肉が落ちたのと体重がかなり増えたのとが影響し、ひざにきてしまいました。それでも整形外科のリハビリに通いなんとか歩けるようになりました。
その後徐々に調子がよくなっていき、H.18年1月から仕事復帰する気満々でした。(勤務先からもH.17年12月末まで休職と言われていました)
12月初め、勤務先から電話がかかってきました。人事課長からでした。「大事な話をするからお母さんと一緒に来て」と言われました。
傷病手当の用紙と一緒に、1月から仕事復帰希望の旨を書いて送ったからその話だ、と思っていました。
しかし、行ってみると、1月4日付けで退職するよう辞表を書けと言われました。辞表の見本を持ってくるから。と。
それだけは嫌だ、働かせてください。中材(手術室で使う器具等を滅菌してきれいにする部署で、患者さんと接しないので看護師の中で一番人気のないところ)でもいいから。と何時間か泣いてお願いしましたが、冷たかったです。
そして、また深いうつへと落ちていきました。社会的地位の喪失による抑うつってやつです。
そして、問題が発生です。寮を出なければならない。当たり前ですが。寮には本棚、ベッド、テレビ、冷蔵庫、洗濯機いろんなものがたくさんありました。しかし、実家にも(1人っ子なので)私の部屋には私のベッドがありテレビもあり、とても寮の荷物を入れる余裕はありませんでした。
それで、冷蔵庫などまだ新しい電化製品はもらってくれる人を探しましたがやっぱり服など荷物が多かったので急きょ家を買って実家も引っ越すことになりました。約1ヶ月の間で新居を探して引越しを寮と実家と両方して、年末年始は両親はとても大変でした。私はすごくブルーで引越しどころではありませんでした。
私は、整形外科のリハビリもさぼってしまい、再び寝たきり生活になってしまいました。そして、ひざは完全に悪くなり変形性膝関節症と言われ、階段の上り下りは全くできず、平坦な道も歩くのが辛くなりました。関節腔内への注射とリハビリをしました。
H.18年4月 どうしても、うつが辛かったので、また入院することになりました。今回も、通院していた実家の近くの病院には精神科の病棟がないとのことで、精神病院を紹介してもらいました。
精神科・神経科の病院でした。

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posted by もも at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 3回目の退院〜解雇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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