2008年07月14日

うつ病と言われるまでの私

大学受験、そして心気妄想

今から思えば、最初にうつの症状がでたのは高校生の時でした。

もともと私は数学が得意でした(双極性障害の人に多い??)ので、小学生の頃から自分は理系の大学に進むつもりでした。なにかになる夢があるわけではなく、単純に自分には数学しかないと思っていました。
しかし、私が高校3年生になるころニュースでは「国公立大学理系女子就職難」とかなりにぎやかに毎日のように報道されていました。

私は、大学に行ってその後、何の職業につくんだろうと疑問を持ち始めました。
そうこうしているうちに1学期も終わり、2学期となり、担任から○工大の女子推薦を受けてみないかと言われました。理系科目はすべて3年間「5」だったので受験資格の枠に入っているとのことでした。
両親は県内の国立大学に進めそうだということで、満足でしたが、私は「女の子が工学部なんかに行って将来どうするの…」という思いでだんだんブルーになっていきました。結局、その推薦の話は返事をしませんでした。
模試で希望校を書いたり、クラスの友人の会話は受験の話が多くなり、さらに憂うつになり、私は勉強もしないで毎日こたつでボーっと寝ていました。
中学からの親友にこの時、私のことをうつ病だと言われました。現在、その友人は精神科医をしているから驚きです。
私はその時のうつ病という言葉にピンとこなかったので、笑って流しました。
この時、ひどい虫歯ができていたのですが、私はこたつの中で「どうせ4月には癌で死ぬんだから、わざわざ痛い思いして虫歯を治す必要はない」と本気で思っていました。
これって、心気妄想ですよね。
結局、センター試験は数学だけは満点でしたが、その他の科目は最悪。日本史なんて50点もとれませんでした。当たり前ですよね。勉強してなかったし、試験中も集中力なかったし。
一応、薬学部を受けましたが落ちました。
スベリ止めの看護学校も補欠合格、そのまたスベリ止めの看護学校に受かりました。
そして、3月の終わりに補欠合格だった看護学校から電話があり、そちらへ入学することになりました。


H.6〜看護学校での新生活、そしてまたうつ

私は、寮生活に憧れがあったので、通える距離でしたが入寮しました。
寮では、先輩と3人部屋で2人ともやさしく(さすが、ナースのたまご)すごくいいお姉さん。また、大勢でテレビを見るのも、一人っ子の私にはとても楽しかったです。いつのまにか、うつの症状はなくなっていました。
学校の勉強も、解剖学だけは覚えることだらけで苦手でしたが、それ以外は楽しかったです。
そしてまた、うつがやってきました。2年生の秋でした。実習中に受け持っている患者さんの病気や看護についてまとめるんですが(記録と呼んでました)、それが全然手につかなくなりました。毎日のように徹夜をしてなんとかまとめていましたが、集中力がありません。1週間で3時間しか寝ていない時もありました。さすがにこの時は、かなしばりにあいました。
抑うつ、意欲低下、集中力低下、思考力減退、倦怠感など、うつの症状だらけでした。
講義では、精神医学、精神科看護などちょうど習っていましたが、自分では気付きませんでした。
3年生になって、また持ち直しました(ほんの少しハイだったかも)


H.9 就職、そしてまたまたうつ… この頃になってようやくうつの自覚

看護学校が附属していた病院に就職しました。
この時の上司がとても厳しく、また国立だったので職員数がとても少なかったので同じ病棟に配属になった2人は1年で辞めて他の病院に移りました。私は、2人が辞めるという話をしていても自分も辞めようとは全く思いませんでした。この時はうつでなかったから余計に前向きに考えていたのだと思います。
そして、2年目。またうつがやってきました。
抑うつが強くて、ブルーでブルーで仕方ありませんでした。もしかしてこれってうつ病??
なかなか病院に行けず悩みました。敷居が高かった。
そして、ちょうど1年で辞めていった友人が不眠で心療内科に通っていたので、そこに行くことにしました。
しかし、せっかく心療内科に来ているのに、うつじゃないかと言い出せない!!
結局、眠れないから眠剤くださいと言って帰ってきた。
そして、2年目が終わる3月にたくさんの先輩たちが仕事を辞めていきました。上司が厳しい・仕事がきついから。
「辞めたもん勝ちだよ」と私に言った先輩ナースもいた。
3年目になり、辞めたもん勝ちの意味が分かった。先輩がどんどん辞めていくから、3年目の私にも、負担がかかる。今まで先輩に助けてもらっていた立場から、自立する立場を通り越して、急に後輩を助けていかなければならない。その上、上司は機嫌が悪い。ある医師は、更年期だと笑ってましたが、私たちからしてみれば笑い事ではない。
毎日がすごくブルーでした。
この頃は、日内変動が激しかったです。朝はなかなか起きれなくて、出勤してもすごくブルー。誰とも話したくない状態でした。
そして、患者さんとおしゃべりをしているうちに楽になっていき、仕事が終わる頃には、誰とでもいいからしゃべりたい状態でした。特に、お年寄りの患者さんを受け持った日には大声で話すのでハイになるのも早かったです。私の場合は、声を出すこと・楽しくしゃべることが朝のブルーから抜け出すコツでした。
そして、3年目が終わる頃、仕事を3月で辞める人がまた多いことを知り、「辞めたもん勝ち」だと思い、3月31日で退職・4月1日就職しました。


H.12 次の職場、そして、またまたまたうつ…

3月31日に、退職の辞令をもらった後、急いで地下鉄+タクシーで次の就職先の病院へ行き、オリエンテーションでした。
その後、また元の病院へ戻り、寮から寮へ引越し。
引越しが終わったら、また元の病院へ戻り寮の鍵を返し病棟へあいさつに。
とっても忙しい1日でしたが、気分は爽快でした。
そして、新しい生活が始まりました。
国立病院が師長・副師長を含め看護師の数16人
次の病院は師長・主任を含め看護師24人+准看護師4人+ヘルパーさん2人+事務員さん1人
この差は、かなり大きかったです。今まできつい仕事をしていたのがバカみたい。移ってよかったと思いました。
それまで、仕事一筋で生きてきたのが、それからは仕事の残業がないこと、仕事の後でもまだ体力が残っていることで、テニススクール2ヶ所とスポーツクラブに通うことができるようになりました。

そして、その病院に移ったあと3年目くらいの時からまた朝の抑うつがでてきました。
それまで、学校や仕事のせいかと思っていた症状がまた出てきたのです。もちろん、仕事も遊びも充実していました。テニスも水泳も楽しくて仕方ありませんでした。
それなのに、朝はブルーでした。市販のセントジョーンズワートを飲みだしました。
そして、その後、その病院に緩和ケア病棟が新設されるということで、私はもともと看護学生時代からホスピスで働くことが夢でしたので、迷わず希望を出しました。
(ここからは愚痴が多いです。ごめんなさい)
緩和ケア病棟に移動してからは、ストレスが多くなりました。
師長がかなり頼りない。師長としても、人間としても。
そして、それに加えてパソコンができない。ということで、ブログは初心者の私ですが、タイピングは普通にできるので(タイピングの早い私へと)どんどん師長のパソコン関係の仕事を押し付けられるようになりました。会議の資料とか病棟スタッフの連絡網とか、あらゆるもの。
そして、スタッフが何かやらかしていても、師長なのに、面と向かって注意できない。独り言のようにブツブツ言ってるだけ。しかも、私の前で独り言を言われると、私に注意しろと押し付けられているよう。まぁ、私は「師長が怒っとったよ。○○に注意しやぁよ」というくらい簡単だけど、自分で言えよって感じでした。
そして、その後、私がうつ病と言われたときに師長と私の母が会うことがあったんですが、「もも子さんはね、後輩を引っ張っていくちからがないんですよ」と言ってのけたからムカツク。それはアンタだろって思いました。
とまぁ、そんな感じでストレスがたまっていきました。

そして、H.16(2004)年6月17日〜20日に、職員旅行でグアムに行ったのですが、この時にブランド物のバッグ3つと化粧品とその他もろもろで30万円使いました。このことをのちに躁エピソードと言われたり、これだけでは躁エピソードとはいえないと言われたり、医師によって様々でした。
この旅行で、グアムのドラッグストアで抗うつ薬を2種類買ったり、夜おしゃべりしているときに、「エンタの神様が最近面白いと思えない」、「それはやばいよ」などとの会話もあったのを覚えています。
7月 抑うつが随分とひどくなってきたのですが、グアムの抗うつ薬は飲みませんでした。たしか、セントジョーンズワートがなくなったら飲むつもりだったと思います。
7月23日(金)朝からずっとブルーでした。委員会があったのですが、身が入らず集中できない、話についていけず初めての自責感。委員会後、病棟に帰ってきてから泣いて、仕事の後の飲み会でも泣いた。みんなの前で。
7月24日(土)朝から、倦怠感が強い。テニスのサークルのメンバーに介護関係の経営をしている人がいて、私はケアマネの資格を持っていたので、介護の利用者さんのところについてきてほしいと頼まれていました。それで、ベンツ(さすが社長)の座り心地のいい車に乗っていきましたが、車の中でも気分が悪い。利用者さん宅でも気分が悪い。動悸・息切れ・冷や汗・倦怠感・腹痛で辛くて辛くて。帰ってきてからも飲みに誘われましたが、断って帰ってきました。帰ってからも、えらくて起き上がれない。座っていられない。食べれない。で寝ました。一緒に仕事をしている臨床心理士さんにメールはしました。
7月25日(日)倦怠感が強く、ずっと寝てました。20時ごろになって、ようやくお粥が食べれました。また、臨床心理士さんにメールしました。受診するよう言われました。
7月26日(月)ブルーでしたが、動けるまでに回復したので出勤しました。朝の申し送りが終わるなり、臨床心理士さんに受診するよね、と確認され、なかば強引に精神科の予約を確認してくれ、午後に診てもらえることになりました。午前中に臨床心理士さんが症状をカルテに書いて、それを持って初めての精神科受診。そのカルテを見てすぐに、「うつだね」と言われ、アモキサン100rが処方されました。

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posted by もも at 17:13| Comment(5) | TrackBack(0) | 〜うつ病と言われるまで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする